■アポなしの面会■~進んで人に賭ける~
おはようございます。
どんよりと曇った高知の朝です。
今日はこれから雨、
気温も20度を超えないようです。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ドラッカーに、
事務所を紹介してくれたその人は、
お客の紹介もしてあげたいとまで言ってくれた。
当時のアメリカでは、
進んで人に賭けてみようという気持ちも本物で、
1938年にドラッカーが
ヨーロッパに行った際、
ワシントンの『ポスト』の国際面編集者に、
紹介なしに電話して原稿の依頼を受けた、
と続ける。
当時国際面で充実した執筆陣を擁していた日刊紙は、
『ニューヨーク・タイムズ』と
シカゴの『トリビューン』だけで、
『ポスト』は、
国際面の記事の多くを
シンジケートを通じて、
主として両紙のものを使っていた。
ドラッカーは、
同紙が海外特派員を
持つことはできないものの、
独自の外国種の記事を
欲しがっていることを
小耳にはさんだ。
「そこで、
電話をかけて国際面の
編集者の名前を聞いた。
バーネット・ノーバーだった。
私はアポイントも取らずに出かけて行った。
二時間で契約をもらい、前金をもらった。」
(3 アメリカの日々 15章お人好しの時代のアメリカ)
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