■21世紀のための社会生態学(3)■~知識は行動のための道具~
おはようございます。
久しぶりの東京の朝。
何とか天気は持ってくれています。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『すでに起こった未来』から
上田さんは、
社会生態学は、
考えることではなく見ることに重点を置き、
分析ではなく知覚に基礎を置くとした。
そして、
社会学との違いがここにあるが、
捨象できるものが存在しないからではなく、
社会生態学は、
その定義からして総体としての形態を
扱うからであると続ける。
総体は、部分の集合よりも
大きくないかもしれないが
部分の集合とは根本的に異なる。
デカルトに始まった近代合理主義としてのモダンが
限界に達してすでに久しく、
21世紀の問題はすべて、
社会生態学のアプローチを必要とする。
ドラッカーは、次のとおり説く。
「体系としての社会生態学は
行動にかかわりを持つ。
知識とは、それ自体が目的なのではなく、
行動のための道具である。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 1 いかに変化を知覚するか ポストモダンの作法)
コメント