■ドラッカーの問題意識■~経済至上主義の終わり~
おはようございます。
曇り空の高知の朝です。
これから雨、
あまり強くはならないようです。
早いもので、
半年が過ぎ今日から7月ですね。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは、
1909年11月19日、
オーストリア=ハンガリー帝国の
首都ウィーンに生まれた。
中部ヨーロッパを500年にわたって支配した
ハプスブルグ家が最後に手にしていた帝国が
オーストリア・ハンガリー帝国だった。
その帝国で貿易省と
大蔵省でエリートコースを歩み、
若手官僚だったころ
ウィーン大学でシュンペーターを見出し、
貿易省事務次官を務めた後、
大銀行の頭取に天下りした
経済学者アドルフ・ドラッカーが、
ドラッカーの父だった。
「第一次世界大戦に負けてハプスブルグ家が滅び、
帝国が分解されて
本体が人口600万の
アルプスの小国になったのが1918年、
ドラッカー8歳のときだった。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』ドラッカーの問題意識ー経済至上主義の終わり)
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