■部分ではなく全体を見る時代へ(1)■~論理だけでは説明できない問題~
おはようございます。
高知は今朝、雲の合間から陽が差してて、
ちょっとほっとするお天気です。
今日は晴れたり曇ったりの一日になりそうで、
暑さはそこまで厳しくなさそうですね。
月曜日、今週もよろしくお願いします!
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『テクノロジストの条件』から
ドラッカーは、
17世紀の半ば以降、
350年にわたって、
西洋はモダンと呼ばれる時代
を生きてきたとする。
そして、
19世紀にはその西洋のモダンが、
全世界の哲学、政治、社会、科学、
経済の規範となり秩序となったが、
今日、モダンはもはや現実ではない、
と続ける。
上田さんは、
モダンとは近代合理主義のことであり、
世のすべての事象は論理の力によって
解明できるとしたことから近代は始まったとし、
その近代が、まず西洋を支配し、
やがて世界を支配したとする。
「ところが、
そのモダンが世界を覆い尽くしたと思われた
20世紀の半ば、
論理だけでは説明できない問題が
急増し始めた。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 1 いかに変化を知覚するか ポストモダンの作法)
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