■なぜ知覚的な認識が必要なのか(1)■~神の存在まで論理の力で証明する~
おはようございます。
朝からまぶしい真夏の日が射す高知です。
この日差しも夕方までで、
明日の降雨に向けて下り坂の様です。
リビングに残しておいた暖房具を片付けました。
春から初夏へうつろう間もなく、
冬から真夏への衣替えです。
金曜日、今日も一日よろしくお願いします。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『イノベーターの条件』から
ドラッカーは、
350年前デカルトは、
我思う、ゆえに我ありと言ったが、
今やわれわれは、
我見る、ゆえに我ありと
言わなければならない、
とする。
上田さんは、
中世の暗黒にあって、
一つの真理を得るならば、
論理の力によって
もう一つの真理を得て、
そこからもう一つの真理を得、
さらにそこからもう一つとなる。
「こうして全世界、全宇宙の真理を得る。
かくして、
神の存在まで論理の力で証明することができる、
こう考えた幾何学者がいた。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 1 いかに変化を知覚するか ポストモダンの作法)
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