■なぜ知覚的な認識が必要なのか(3)■~ブルジョア資本主義の理念的基盤~
おはようございます。
朝からまぶしい陽射しの高知です。
昨日まで続いた雨模様の天気もガラリ一変、
今日は晴れて夏日にになりそうです。
日曜日、良い休日をお楽しみください。
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∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『イノベーターの条件』から
デカルトは、
神の存在まで論理の力で
証明することができる
とする考えが幻であったとしても、
かかることを考えている我が、
今ここにあることに間違いはなく、
そこで彼は「我思う、ゆえに我あり」と言った。
上田さんは、
ここで近代合理主義としてのモダンが始まり、
すべては論理によって明らかにできるとし、
全体は部分によって規定されるとし、
何事も定量化できて
初めて意味を持つとした、
と続ける。
事実、そこから技能の技術化が始まり、
工具製作者が生まれ、
ジェームズ・ワットの蒸気機関が可能となり、
産業革命の物的な基盤がもたらされた。
「奇しくも同じ年、
同じスコットランドの
アダム・スミスが「国富論』を書いて、
ブルジョア資本主義の
理念的な基盤をもたらした。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 1 いかに変化を知覚するか ポストモダンの作法)
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