■なぜ知覚的な認識が必要なのか(4)■~論理に頼ることはできない~
おはようございます。
薄曇りの高知は涼しい朝です。
今日はこのまま曇ったままで、
雨の心配はなさそうです。
月曜日、今週もよろしくお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
∬ちょこっと、ピータ.ドラッカー∬
~『イノベーターの条件』から
上田さんは、
ジェームズ・ワットの蒸気機関が可能となり、
産業革命の物的な基盤がもたらされた同じ年、
同じスコットランドの
アダム・スミスが「国富論』を書いて、
ブルジョア資本主義の
理念的な基盤をもたらした、
とした。
しかし、今日、われわれの眼前にある
新しい現実はすべて複雑系であり、
論理のみによってそれらの問題を
扱うことはできず、
部分最適の和をもって
全体最適とすることはできないと続ける。
そして、
致命的に重要なものは
すべて定量化できないものの中にあり、
知覚的な認識が不可欠であり、
すべてを命あるものとして見る世界観が
必要であるとする。
さらに、
組織社会の成熟、
グローバル経済の展開、
地球環境問題の深刻化、
緊急に提示することが求められている
教育ある者のモデルなど、
すべてが形態的であり、
論理に頼ることはできないとする。
ドラッカーは次のとおり説く。
「デカルト以来、
重点は論理的な分析に置かれてきた。
これからはこの論理的な分析と
知覚的な認識の両者が必要とされる。」
(『ドラッカー時代を超える言葉』Ⅴ 変化を捉える 1 いかに変化を知覚するか ポストモダンの作法)
コメント